東京高等裁判所 昭和44年(う)2702号 判決
被告人 中村達成
〔抄 録〕
七、被告人の一般的精神症歴
右逸見鑑定、原審証人隆克朗の供述、中村スエの検察官に対する昭和四三年五月一七日付供述調書、被告人の司法警察員に対する同月一一日付供述調書その他の関係証拠を総合すれば、被告人の一般的精神症歴はおおむね次のとおりである。
被告人は肩書本籍地において出生し両親のもとに生育したが、智的環境に恵まれず知能指数は限界級知に属する。小、中学校時代は勉学を好まず、二〇才ごろから山の中や墓地で一人で酒を飲むなど、現実から逃避する手段として酩酊を求めるようになり、二七才(昭和三九年)ごろから泥酔して乱暴する傾向ががみられた。昭和四〇年一二月木更津病院で受診し、慢性アルコール中毒と診断され、同四三年三月三一日、生家を訪れた際、不安、亢奮状態となり、「お茶に毒が入っている」「母親が死んだ」など妄想様の言動を示し、「スエ(母親)が首を吊って自殺した」という声も聞えた(幻聴)。その数日後には終日母や兄の声で「水に飛び込んで死ね」「兄が鉄砲をもって殺しに来る」などと聞こえた(幻聴)。同年四月一一日泥酔状態で木更津病院に入院し、慢性アルコール中毒、意思薄弱性質、病的酩酊傾向の診断を受けたが、翌日からはほぼ平静の状態にあった。
同年五月九日に母親に迎えられて退院したが、その直後母親に対し「誰がおれを気違い病院へ入れたか」などと食ってかかり強い怨恨の情を示したが、同夜は生家に帰った。翌一〇日(本件犯行の日)早朝、木更津病院から投与を受けていた抗酒剤(シアナマイド)を一〇ないし二〇CC服用し、所用のため外出したが、午後三時ごろ白梅(二五度の焼酎)二合を買い求めてがぶ飲みし、ためにかなりの胸内苦悶感、悪心などの身体的苦痛を自覚しながら、午後四時すぎごろ帰宅し、同四時三〇分ごろ本件犯行に及んだのである(その際の心理状態については後記八参照)。
被告人は昭和四四年一〇月一六日、本件について原審の無罪判決の言渡を受けて釈放され同日午後九時ごろ帰宅したが、家族と対談中に突然「桂子(別れた妻)がテレビで呼んでいる」とか「孝広(被告人の実子、当時桂子のもとに別居中)が泣いている」「電気を消すな、こわいものが来る」とわめいて、おびえ、泣き出した。そこで翌朝、木更津病院に再入院した。
その後約二年間にわたる入院中、精神症状は一進一退でありながら治療への意欲も認められたところ、昭和四六年一〇月初旬ごろから不眠と苦悶を執拗に訴え、明らかに幻聴と幻視が認められた。その原因としては、被告人が好意を寄せていた女性の患者が同年九月下旬に病院で縊死したことにより強い衝撃を受けたことが挙げられる。ことに、紐ないし紐状のものを見るとはげしい恐怖感を示し、「あの紐で自分も首を吊ってしまう」と叫び、「誰かに首を吊らされる」と訴え、不安感と罪業念慮を示した。この不穏状態は昭和四七年二月上旬まで続き、それ以後次第に安定するに至った。
八、被告人の本件犯行時の心理状態
被告人の司法警察員(三通)および検察官(昭和四三年五月二二日付)に対する各供述調書、中村スエの検察官に対する昭和四三年五月一七日付供述調書および同人の原審公判廷における証言、中村一夫の司法警察員に対する各供述調書を総合して認められる、被告人の本件各犯行時における心理状態はおおむね次のとおりである(「 」内は被告人の供述調書中の記載)。
被告人は当日午後四時すぎごろ帰宅した時は、抗酒剤を服用したうえ、死んでもよいという気持で焼酎二合を飲んでいたので、胸を圧迫されていたためか、平常と異り、憤激した態度であった。母スエが手紙を書いており、お茶を飲んでいた。被告人は、「皆でおれをわなにかけている、とか云ったと思うが、夢中でその時の気持は言葉に現わせない。」子供にも会えないので「皆がおれを騙している、嘘を云っていると思い、かっとなって」夢中で子供の写真を探しまわった。そのうち「外に大勢の人が集まってきて、あの野郎何やっている、とか云っているのが聞こえてきたので恐ろしくなった。このころ銃が手に入ったのではないかと思う。今までは皆に狙われていたが今度はおれの番だ、という気になった。子供に一目会えればいつ死んでもいい、その前にやられたのでは、ということが頭にあった。背中がぞくぞく寒気がして、いつ人にやられるか、子供が来るか、と足が地についていなかったように思う。」「その時銃を持っていたかどうか分らないが、銃は引出しかなんかにあったと思う。いくら考えても銃をどこから何時手にとったものか思い出せない。」兄一夫が被告人に向って、猟銃を置いて家に入れ、話せばわかる、といって説得を続けたが、被告人は誰でも近づいたら射つぞ、と普通の顔ではなく血相を変えているので、一夫も、これでは自分の手ではとてもだめだと思った。被告人は「自分の身を守ることしか頭になかった。」
被告人は父正が自転車で庭に入ってくるのを見て、逃げようとしたが「後ろから皆が見張っているみたいで逃げられなくなり、来ちゃ駄目だよ、来たら射つぞ、と騒いだ。」正は自転車を降り、まっすぐ両手をひろげて被告人に駆け寄った。スエは正を止めようとしたがその暇もなく、正は被告人に一メートル半ぐらいに近づいた時、発射音がして仰向けに倒れた。スエは正を抱き起こしたが、被告人が、お前も一緒に楽にしてやろうか、と言ったので驚いて正にすがりついて泣いていた。被告人としては、「正がスエと一緒に(近づいて)来て、スエが正の左手を引張っていて、正は右手で自分の持っている銃にさわったように思ったが、それからは何も分らなくなった。気がついたらスエが座って正と抱き合っているようだった。スエに対して、お前も一緒に楽にしてやろうか、と言ったことは覚えていない。」「なぜ父を殺したのか覚えていない。父はまだ生きているような気がする。」
「それから(犯行後)物置かどこかに逃げたが、物置の裏の方で皆が騒いでいるので、おっかなくて、今度は庭の一番広い所に出てきた。皆にとり囲まれておっかなくてどうしようもなく、ただ皆から殺されると思っていた。病院に入る前に、自分はやはり皆にとり囲まれて鉄砲でやられたことがあったので、またやられると思い、自分がそういう話をしても誰も聞いてくれないので人を信じられず、周りの者が近づいてくれば必ず殺されると思っておっかなかった。」「自分は火薬を持っていて、そばに火があったので、それがあれば自分は死ねると思っていたので、皆に、寄るな、寄るな、寄らなきゃ何もしない、と言って騒いでいたような気がする。気がついたら病院と同じようなところに入れられていた。」
九、原判決に事実誤認の違法はない。
被告人の本件犯行時における心理状態は、おおむね以上のとおりであるが、さらにその背景として、前記七認定のような一般的精神症状が本件犯行の前後に跨がって存在することを併せ考慮し、鈴木鑑定、逸見鑑定および鈴木、逸見両証言にあらわれた精神医学的見地からの価値判断を加えて考察すれば、被告人の被害念慮・被害妄想・幻覚を伴う苦悶、恐怖の症状が、抗酒剤と焼酎二合の作用によって増強され前記八にみられるような妄想・幻覚を伴う病的酩酊のもとで本件各犯行がなされた事実を肯認することができる。そして、右の精神状況のもとにおいては、是非善悪を弁別しおよびその弁別に従って行為する能力は全く失われていた、つまり心神喪失の状況にあったと解するの他ないものと認める。
(真野 吉川 岡村)